アーティスト ステイトメント

私は、絵を描くことが大好きです。

精魂こめて描きます。

言葉を超えた、まだ知り得ぬ何かを求めて。

時間と空間を超えた何か、

普遍的なものを求めて。

 

私の絵は、混沌状態から始まります。

いつも、ひどく混乱した状態から始まります。

手がかりとなるような構想を見いだすことができず、

進むべき方向が皆目わからず、

全く途方にくれてしまいます。

ひどい焦燥感。

ひどい挫折感。

非常な痛み。

どうしても、あの地点に達することができない、という事実に困惑し、
この混乱状態から早く抜け出したいという強い欲求にもがき苦しみます。

それが、更なる創作活動へと私を駆り立てます。

 

線、色、形、構成など、

私には、多くの道具が与えられています。

あの地点に到達するには、どうやってこれらを用いたらよいのか?

どうすれば今の混沌から抜け出して、クリアーで純粋な秩序を

構成することができるのか?

私は、それを獲得したい。

私は、それを表現したい。

 

絵はとても正直です。

絵は、私が自分自身をどれほど深く理解できているか、教えてくれます。

絵は、私がどれほど世界を明確に認識できているのか、教えてくれます。

絵には、すべてが現われています。

絵には、私についてのすべてが正確に語られています。

私は、何も隠すことができません。

 

揺るぎない調和と強さをもったフォームを創造するには

一体どうしたらいいの?

 

私は知っています。

私は何をすべきなのか、分かっています。

私がなすべきことは、私の魂、私の内側の価値を磨くこと。

というのも、絵はまるで鏡のように、私の魂のイメージを

すべて映しだしてしまうから。

だから、私は、私の内側に深く目を向けます。

私は、自分の魂のことに取り組みます。

 

私の魂は、私に、まる裸になることを強く要求します。

私の魂は、私に、私の外側の『私』から自由になることを要請します。

私の魂は、私に、私のエゴを解放するように指示します。

私の魂は、私の行為、考えが、正しいのかそうでないのかを

いつも私に尋問してきます。

言い訳する余地はなく、

私は、私自身に向かい合い、

うわべだけの、うそっぱちな生活を放棄します。

私は、自分の魂をより深く理解出来るよう努めます。

 

絵は、決して私を裏切りません。

私の魂が、目覚め、磨かれ、形作られるに従って、

絵は私の心にもっと寄り添うようになっていきます。

さらに進むと、もっと確かで信頼に満ちた回答が、

絵のうちに現われてくるのがわかります。

絵は、私の内側の要求に応じ、より素直に、より直接的になって、

ついには、私の魂そのものになります。

 

絵はシンプルになっていきます。

絵はとてもシンプルになっていきます。

 

私は、キャンバスに表れている無数のイメージを、最も本質的な要素になるまで

絞り込んでいきます。

私にとって、本当に重要なもののみを、キャンバスにとどめます。

多様な色の展開は必要ありません。

複雑きわまる表現形式の引用も要りません。

 

私は、自分の魂に向かい合う旅のおかげで、自由に動き、

自由に変わることができるようになりました。

その旅で、私は、新しい目をもつ、新しい人間になり、

私の目は、ずっと深くて広い見識でものがみられるように開かれ、

より確かでより清澄性を帯びた視点がもてるように強化されました。

新しい力を備えた、新しい人間になった今、

私は、全てのものは、洗練された極みにおいては、最もシンプルなフォームで

存在する、ということが理解できるようになりました。

このシンプルなフォームこそ、明確で本質的な価値を備えているということ、

このシンプルなフォームこそが、永遠に、人間の魂に直接訴える力をもつ

真のフォームだということを認識したのです。

 

この気づきで、私は強くなりました。

私はこの気づきのおかげで、絵に対して

本当に自由な立場をとることができるほど強くなりました。

自分自身に充分な信頼をおくことに、もはや何の躊躇もしません。

私独自のやり方で、究極のフォームを再構築するために、

もはやどんな妥協もしません。

 

さて、こうした気づきの中、私は、ある顕著な現象を確認することになります。

私の意識が拡大していくに従って、相反する性質を、より明確に

認識するようになったのです。

よりシンプルであれば、より複雑に

より精密であれば、より大胆に

より限定的であれば、より自由に

より主観的であれば、より客観的に

より理性的であれば、より感情的に

より物質的であれば、より精神的に

より特殊的であれば、より一般的に

よりミクロであれば、それはよりマクロに。

 

さらに、これらの特質、傾向のうちにあって、絵の統一感が

より一層際立ってきました。

よりバランスのある、

より調和のとれた、

充分に構築された全体性。

そしてこの時、私は自然界の神秘を理解したのです。

 

朝、朝顔が開花するのを見ることは大きな喜びです。

そして、これを可能にするのは、夜の寒さと闇によるものなのです。

朝と夜。

光と闇。

暖かさと寒さ。

乾燥と湿気など。

朝顔が美しい花を咲かせるためには、それぞれの要素が

等しく重要であり、必要であるということ。

互いに調和し合ってはじめて、朝顔は、私たちに

その完璧な姿を示してくれるのです。

目に見えない内容についての深い関係があってはじめて、

それらは目に見える形で、美しい歌を歌ってくれるのです。

 

何てすばらしい瞬間!

私は、自然への扉を開きました。

私は、自然と初めて真のコンタクトをもったのです。

 

自然は、語っています。

自然は、美は調和の中にあってこそ存在するものであることを

私達に教えてくれます。

美がリズムに充ちた素晴らしいフォームを見せてくれるのは、調和のうちにあってこそ。

美が恭しい沈黙のなかで、その威厳のある姿を現わしてくれるのは、調和のうちにあってこそ。

美が驚嘆と喜びをもってその純真な美を現わしてくれるのは、調和のうちにあってこそ。

美とは、自然が設定した完全に調和した形式の中でこそ、その全一の姿が完璧に

顕現されるのです。

全ての美は、自然のうちに根ざしているのです。

 

私がこれを理解した時、私自身、自然の中心軸に浸透していくのがわかりました。

私がこれを受け入れた時、自分が全一の存在、完全な調和のうちに

統合されていくのがわかりました。

私がこのことに感謝した時、私は、自然が奏でる美しい音と自由に戯れる機会を与えられたことに気がつきました。

自然への、より深い尊敬と畏敬の念をもって、

私は、これまで以上に、自然が歌を歌っているのが聞こえます。

私は、これまで以上に、自然がダンスしているのがみえます。

私は、これまで以上に、自然をよく感じることができます。

 

これからもずっと、自然が創造するドラマに参加しながら、

私は、美のエッセンスをキャンバスにあらわし、

美のもつ真の暖かさをキャンバスに写し取り、

美のもつそのエレガントな吐息を、完全なる形でキャンバスに刻んでいきましょう。

できる限りの正直さと誠実さで、

私は自然からの贈り物を世界に送り届けていきます。

何て高貴な仕事ではありませんか!

 

 

(著作権1999年 瀬戸貴代)

この声明文は、プラット・インスティチュート大学院の卒業論文として書かれたものを日本語に

翻訳したものです。原文は、本サイトの英語版”Statement”のページをご参照下さい。

(https://www.takayoseto.com/statement)